お役立ちコラム

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大阪ミナミの商業集積の変化

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大阪ミナミの商業集積の変化と中心市街地活性化

1.はじめに

御堂筋 大阪には、「キタ」と「ミナミ」の大きな二つの繁華街がある。キタは梅田駅を中心として北は阪急インターナショナルホテル・東急ハンズから,阪急ターミナル、ヘップファイブ・ナビオ、阪急百貨店等、ディベロッパーの開発したいわゆる「ハコモノ」中心の商業施設が多い。それに対して、ミナミは、「心斎橋」「難波」の二つを結ぶ心斎橋・戎橋商店街・鰻谷・アメリカ村等の自然発生的な専門店が中心に発達している。そしてそのミナミに、「クレスタ長堀」地下街が誕生したのを契機に、新しい変化が見られる。その一つは、長堀通り・御堂筋に面して、「ルイヴィトン」「アルマーニ」「カルティエ」等の高級ヨーロッパブランドが直営店を出店して注目をあびていることである。またアメリカ村の北と西の「南船場」と「堀江」に、若いオーナーやクリエーターたちによる「セレクトショップ」や「カフェレストラン」が続々とオープンしていることである。

このように、大阪ミナミの路面専門店がいま、若者たちの間で話題となり注目されている。そこで「何故今、南船場・堀江なのか」を考えることにより、全国衰退している中心市街地の活性化のためヒントを見出したい。

 

2.ミナミの商店街の歴史と変化

2-1心斎橋商店街

大阪ミナミは、徳川期に本核的に街づくりに着手され、掘割が新たに進められた。1615年に、南堀川(道頓堀川)が、開削された。1657年頃には、船場、島之内、西船場の地が、すでに区画整理がされていた。1679年頃の資料によると、小間物屋・古書店・古道具屋などがすでに営業していた。元禄期に、高麗橋に越後屋(三越)呉服店が開店し、そこに多くの呉服店・両替商などが集まってきた。その後新町に廊ができ、順慶町通りが賑やかになり、特に夜店が賑わいを見せた。一方、道頓堀に芝居小屋が建ち並ぶようになると、廊と芝居小屋に繰り出す人々が心斎橋筋を通り出し、人の流れは南へと移り始めた。1726年には大丸ができ、1800年頃には心斎橋南詰まで小売店がつらなってきた。昔の心斎橋筋

そして明治期には、業種も増えて、1900年頃の資料によると、心斎橋筋には、本屋20軒、舶来商15軒、時計商18軒、洋傘商11軒、洋反・洋服商5軒があり、文明開化が浸透していた。中でも舶来商、時計商は心斎橋を「遊歩する人々」の好奇のまなざしを集めた。というのは、時計店は競い合って塔屋に時計盤を掲げる西洋風店舗を建立したからである。大丸、小大丸、十合といった呉服店も、正札販売・陳列販売を開始し、ショーウインドや陳列ケースをそなえた新しい店構えへ改装して競い合った。

大正7年(1918年)には、大丸は、ヴォーリスの設計により四階建ての百貨店を開業するが、二年後火災により焼失した。大正13年に、丹平ハウスが開店する。この店は、アメリカのドラッグストアを模したデザインの店で、薬以外に、写真用品、化粧品、キャンディー等も扱い、また飲食の楽しめるソーダファンテン、美容室、写真スタジオ、洋画研究所まで入店していた。そして女性客や若者を意識したアメリカ風の店が続々と現われ、呉服店も消費の殿堂である百貨店に変貌した。アールヌーボーやアールデコの新しい建築様式でデザインされた百貨店や店舗も出現し、お洒落をしながらショッピングやウインドショッピングを楽しむ人々が増えてきた。モボやモガなどの洒落たファッションに身を包んだ若者の「心ブラ」がここに誕生した。

昭和に入ると、1933年(昭和8年)に梅田から心斎橋までの地下鉄が開業、翌年には難波まで延び、1937年には御堂筋も完成して心斎橋も姿を変えていった。大丸百貨店は、1933年にヴォーリスの設計によりアールデコのデザインで7階建ての現在のビルに再建された。その二年後そごう百貨店も、村野藤吾の設計によりモダニズムのデザインで新しいビルを完成した。心斎橋筋は、オシャレなファショッションストリートとして、若者の人気のファッションブランドのショップが軒をならべるようになった。心斎橋筋

このように、心斎橋は文化・芸術・ファッションの発信地として、時代の最先端の中で変化しきた。江戸時代には、書物が大衆の物になるにしたがって書肆の街として発展し、明治に入ると文明開化の象徴として時計・舶来品の店が多く開店し、また大丸をはじめとする呉服店も繁栄した。大正昭和になると、デパートが開店し「心ブラ」を楽しむ人でにぎわった。バブル期にはジュリアナなどのディスコなども登場し、いろいろな業種の店舗がデザインを競い合っていた。最近も若者がゲームコーナーやカラオケスタジオで、エンジョイし、商店街を闊歩している。しかし、心斎橋筋の老舗が消え、ゲームコーナーやパチンコ店に姿を変えて派手なデザインの店が並んでいる。これも時代の流れと言えばそれまでだが、何か落ち着いて、「心ブラ」を本当に楽しめなくなっているのはさみしい話である。

心斎橋の年表

年代 内容
1615年 道頓堀川開削
1657年 船場、島之内、西船場区画整理
1672年頃 新町に廊、道頓堀に芝居小屋が集まる
1679年頃 小間物屋・古書店・古道具屋などがすでに営業していた
1726年 大丸開業
1800年頃 心斎橋南詰まで小売店がつらなってきた
1846年 石原時計店開業
1881年 駸々堂書店開業
1888年 三木楽器開業(オルガン販売)
1900年頃 本屋20軒、舶来商15軒、時計商18軒、洋傘商11軒、洋反・洋服商5軒となり、文明開化が浸透していた
1918年 大丸4階建てビル竣工
1923年 丹平ハウス開業
1933年 地下鉄御堂筋線開通、大丸7階建てビル竣工(ヴォーリスのデザイン)
1935年 そごうビル竣工(村野藤吾のデザイン)

2_2鰻谷(ヨーロッパ村)

御堂筋から堺筋までの間で、長堀通り側の1・2本目を鰻谷と言われていたが、アメリカ村に対して、ヨーロッパ村とも呼ばれている。1970年代に心斎橋筋にソニータワー・心斎橋パルコが開店し、この地区にグルメやファッションの達人が隠れ家的に使用する店舗やオシャレな店舗デザインのバーが点在するようになった。バブル期には、DC(デナイナーズキャラクター)ブランドが、オンリーショップを出店して話題となった。安藤忠雄氏のデザインのショップ(写真右)が開店するなどして話題を集めた。この街はアメリカ村に集まる若者よりは、一線を画した20代後半から30代前半の世代のお洒落な大人の街である。ヨーロッパ村は、昭和57年頃からそう呼ばれるようになったが、その頃からギャラリーがふえ、この街独自の文化の香りを醸し出している。またこの地区の店舗はそれぞれこだわったコンセプトを主張したデザインのショップも多く、自分のスタイルを持つ人が集まって来るし、この街を定点としている人も少なくない。

2_3アメリカ村

アメリカ村は、1969年に「ループ」と言う喫茶店の開業が起点になったと言われている。この喫茶店に、ファッション関係の人々やカメラマンが出入りするようになり、多くのクリエイターたちが集まるようになった.そしてアメリカ、特に西海岸の文化アメリカ村に影響を受けた若者たちが、旅行社が企画したアメリカ西海岸ツアーに参加し、その旅行で持ち帰った古着・雑貨・中古レコードを商品にし、アメリカ村に出店したのが始まりである。そしてサーファーショップや古着ショップが次々とオープンした。当初は三角公園周辺だけであったが、その後、周防街通りに沿って御堂筋まで延び、黒田征太郎のウオールアートやトムズハウスや自由の女神像をビルの屋上につけたファッションビルなど、街のランドマークも登場した。1990年にはタワーレコードがオープン、1993年には旧大阪市立南中学校跡地にファッション店を多く集積し、店舗デザインにも力を入れたビッグステップが誕生した。そして全国から修学旅行生がこぞって訪れる場所となり、10代の若者でいつも活気のある街に変わった。三角公園

アメリカ村がこのように発展した理由は、おもに三つ考えられる。一つは、三角公園の存在がある。若者が三角公園に集まり、ミュージックや個性的なアートを競い合い、若者の表現のステージとなり、その周辺にいつも若者が集まるようになったことである。また、最近では漫才・手品を披露する芸人の卵、ストリートミュージシャン、ラップダンサーなどがアメリカ村のニューカルチャーを生みだそうとしている。二つ目は、若者が始めて商売を始めるケースが多いと言うことである.特にフリーマーケットが多数存在し、そのフリーマーケットで成功した人が店を持つと言う流れがあるようである。だから5坪から10坪の小さなショップが数多く、点在している。三つ目は、核施設ビッグステップの存在が上げられる。ビッグステップには、ディズニーショップをはじめとする店舗デザインもトレンドなナショナルブランドのショップが入店し、アメリカ村の商品構成に幅を持たすことができた。またビッグステップの建設当時は階段と吹き抜けに大事な部分を取られ、肝心の商売する場所が隅に追いやられショッピングビルとしては成り立たないと言う批判も聞かれた。しかし、今にしてみれば何もない階段・吹き抜けのユニークな空間があったから、第二の三角公園、アメリカ村のシンボルとなり得たのかもしれない。若者たちはこのビッグステップの大階段に座ってコミュニケーションを図り、ショッピングを楽しんでいる。

アメリカ村の年表

年代 内容
1969年 カフェ「ループ」オープン
1970年 アメリカ西海岸ツアー「アメリカ夏の陣」企画
1970年 サーファー・古着ショップオープン(約20店)
1982年 カフェ「パームス」出店 ホテル日航大阪オープン
1983年 無印良品オープン
1989年 三角公園横にブルータスビルオープン
1990年 タワーレコード出店
1993年 ビッグステップオープン
199/年 OPAオープン

2_4御堂筋・長堀通り

長堀通りは昔、長堀川と言う本当の河が流れていました。それが30年前に埋め立てられ地下駐車場となり、1997年(平成9年)にその地下が地下街「クリスタ長堀」としてオープンした。1990年には、国際花と緑の博覧会のために整理された地下鉄長堀鶴見緑地線が開通し、心斎橋に東西からの集客が可能となった。この地下街のオープンを契機として、1999年に、大阪の市内では始めて東急ハンズ心斎橋店が開店し、これに続いて御堂筋・長堀通りに面して、「シャネル」「マックスマーラ」「ヴェルサーチ」「ヴィトン」「カルティエ」「アルマーニ」などのヨーロッパ高級ブランドが次々とオープンした。これは、バブル崩壊により銀行・大企業のリストラのために、

メインストリートの店舗およびショールームを閉鎖したことにより、高立地の商業地に空きスペースが増加したことが大きな原因である。ヨーロッパ村

御堂筋に面したビルも空きスペースが増加し、活性化が求められている。そこで最近、大阪市・大阪商工会議所・近畿建設局が一体となって大改造に乗り出そうとしている。パリのシャンゼリゼ通りに習って「御堂筋沿いのビルの一階部分を店舗で統一する」といった案が浮上している。具体的には、オフィースや銀行が入っている御堂筋沿いのビルの一階部分をブティックやカフェなどの店舗として使ってもらうようにする。また、ビルの外壁を煉瓦タイル貼りで統一するなどが考えられている。

2-5南船場

船場は、江戸時代に天下の台所として、近代には、経済商工都市大阪の中心として繁栄し、現在も日本有数の企業がオフィースを連ねている。昔、東西を東横堀川と西横堀川に、南北を長堀川と土佐堀川で囲まれた地域を船場と呼ばれていた。南船場一丁目_四丁目は以前、順慶町通り、安堂寺橋通り、塩町通り、末吉橋通りと呼ばれていた。順慶町通りの西は新町廊に通じ、昔から賑やかであり、特に夜店が賑やかであった。安堂寺橋通りは、金物屋が多く、関西初の蘭学熟もあった。

南船場は、もともとアパレルやデザイン関係の事務所多かったエリアで、以前からビルの一階には、ブティックやお洒落な喫茶店が見られた。バブル期には、イタリアのデザイナーを起用し、外壁に観葉植物を使用したユニークなデザインのオーガニックビルも誕生した。その後、南船場のビルの1階にはオープンエアーレストランやブティックがぽつりぽつりと増え、勤め帰りのOLや業界人が多く見られるようになった。クリスタ長堀が出来てから、ユニークな店舗デザインのセレクトショップやカフェレストランの数が急増している。オーガニックビル

2_6堀江

今から300年前、堀江川(今で言う北堀江と南堀江の境目、周防町通り)が開削され、それに伴い廻船問屋などが生まれ、材木・銅吹・藍などの商工業が発達した。そして戦前には、花街として栄え新町の流れを受け、お茶やさんで華やかな時代も合った。しかし、大空襲で焼け野原になり、その後疎開していた人が帰り、現在の立花通りが作られた。立花通りは以前、家具の町としても有名であった。堀江公園

堀江には、依然からアパレル・デザイン関係の会社が多く、4・5年前からそのアパレルメーカーがショールーム兼用のショップを造りはじめた。筆者も堀江のビルの一室に事務所を構えて10年以上なるが、そのビルの一階のテナントは、5年前に古着ショップがオープンし、その後アフリカ雑貨、ボーダーショップと変化した。3年前に立花通りに、お洒落な若者の間で有名な原宿のショップ「APC」が出店したのを、契機として堀江付近を若者が、雑誌を片手に歩く姿をよく見かけるようになつた。その後も東京発のブランドショップの出店が続き、ヒステリックやジャーナルスタンダードなどが旬なデザインのショップが軒をならべてきた。

 

3. 何故今、南船場・堀江なのか

何故今、南船場・堀江に新しく若者のショップが増え続けているのだろうか。ただ心斎橋筋やアメリカ村よりも、家賃が安いから、ただそれだけなのだろうか。商品構成,店づくり、プロモーションなどの視点から分析することによりそれを明らかにしたい。

3_1新しい店舗の分析

南船場・堀江の新しい店舗を、よく調べて見ると、心斎橋やアメリカ村の多くの店舗とは、明らかに違った特徴がある。それは、その店のマーチャンダイジングポリシーが明確に、商品・サービス・店づくりに表現され、差別化が図られていることである。例えば、アメリカ村の古着ショップは、ボリューム陳列の店ばかりで、どの店もみな同じみえる。店づくりもサインだけ大きく掲げ、店内は蛍光灯で、壁はクロス仕上げまたはペンキ塗りで、簡単ある。立花通りの古着ショップは、平台に一枚づつ丁寧にディスプレイされ、店づくりも吹き抜けを設けたり、天井を高くし、ペンダント照明により、ムードを演出している。南船場・堀江の新しいセレクトショップやカフェ、レストランの特徴を下表にまとめてみた。レストラン

南船場のセレクトショップ

店名 業種 大きさ 特徴
ハックネット 10坪 デザイン関係の洋書の専門店 親切に説明付きで販売

白壁でガラスの大きな入り口

AMI,RX 時計 20坪 ROLEX専門店 ガラスの個室にて背客販売

デザインされたショーケース やさしい間接照明

チャオパニック カジュアル衣料 40坪 カジュアルショップチェーン店 長堀通りに面した壁に

目を引くイラストと外装の板貼りが印象的

45RPM レディース

カジュアル

40坪 ヤングレディース専門店チェーン スケルトン天井とお洒落な家具
ドレイテリア レディース

メンズ

40坪 使い心地のよい永遠の定番を、

洋服だけでなく雑貨もそろえる

ゴシック 古着 40坪 アメリカだけでなくヨーロッパ物やオリジナルなリメイクアイテムも取り揃える 量感陳列ではない

南船場のレストラン・カフェ

店名 業種 大きさ 特徴
SOLVIVA レストラン 120坪 店の前には、浄水器の塔があり オーガニックグルメレストラン 店内の天井一杯のイラストは圧巻
ガーブ イタリアン料理 200坪 倉庫を改装して,ユニークな空間演出がなかなか 外部にガーデンがあり、塀の上に白いパラソルが頭を見せる
シャンティシャンチイダイニング インド料理   ピンク一色に、ペインティングされた外観が目を引く。二階のテラスに見える黄色いパラソル
アマークドパラディ フレンチ   オープンエアな開放感、オリジナルメニューを黒板で告知
シュビドゥビダイニング イタリアン料理 30坪 青いテントにアルミのガーデンチェア

堀江のセレクトショップ

店名 業種 大きさ 特徴
ベッドボーダー バック 10坪 東京原宿で絶大な人気を誇るバック専門店 大阪に初登場ユニセックス中心 ダンカーアクセも人気
APC ヤングレディー

ヤングメンズ

50坪

50坪

原宿で人気のショップが3年前にオープン この店は谷花通りのセレクトショップの始り
n°44OSAKA レディース

メンズ

  東京発の好感度セレクトショップ タータンチェクや千鳥格子で「パターン・オン・パターン」を提案
アグラ 雑貨 15坪 タイやインドネシアの家具や雑貨、日本の作家の小物等、アジアンエスニック雑貨を品揃え
ディーテル 雑貨 30坪 カラフルでシンプルな雑貨

堀江のレストランカフェ

店名 業種 大きさ 特徴
ミュゼ大阪 イタリアン 30坪 堀江公園に面して、天井高の高い吹き抜けの空間が心地良い。この建物が堀江のランドマークとなり、お洒落な若者のデートスポット
カフェシャボン カフェ 50坪 木造の倉庫を改装した梁むき出しの高天井のインテリアとスノッブな什器がマッチしている。
カフェレストラン チャオルア ベトナム料理 50坪 旅行や雑貨でも、今ベトナムが話題を呼んでいるが、ベトナムヘルシーメニューが豊富、竹の人力車や藤の什器が異国情緒を盛り上げている
タイル 韓国料理 80坪 鉄骨のタイル工場を改装して、2000年秋にオープン 大きなカウンターの中の稲のオブジェが新鮮で都会的な雰囲気はまるでニューヨーク 食器・箸が金物で珍しい

■南船場・堀江の新しいセレクトショップやカフェ、レストランの特徴

1.ショップコンセプトやオーナーの拘りが個性的で魅力的

2.商品構成・サービス内容を徹底的に研究、差別化

3.店づくりやディスプレイ、コンタクトパーソンまで、コンセプトを繁栄

4.若いオーナーやクリエイターの活躍

3_2商品・サービスの分析

セレクトショップとは、そのショップのオーナーの感性やショップコンセプトにより、選りすぐりの商品を集めたショップのことである。従来の品揃えショップと違う点は、オーナーの思い込みや拘りが強烈であることから、他店には真似の出来ない商品構成で、世界中から商品を集めたり、自社のオリジナル商品を開発して、差別化・個性化を打ち出している点である。

例えば、南船場の「AMI・RX」は、ロレックスの中古品からレアー商品および人気の新商品まで、集めたショップで、すべての商品をショーケースにいれて陳列している。そして接客はガラスの部屋でゆっくりと応対している。また堀江の「ヘッド・ボーダー」では、ベーシックでなおかつ機能的をコンセプトに、自社でオリジナル商品を開発したり、ダンクアクセを輸入して商品構成している。今やこの店の商品は、お洒落な若者の必須アイテムとなっている。「アグラ」は、アジアンテイストの店舗デザインでリラクシン雑貨を、中心に商品構成して、タイ・インドネシア・中国などアジア各国からインテリア雑貨を集めている。飲食店の「チャオルア」は、今旅行や雑貨で話題のベトナムの料理を提供し、ヘルシーでユニ_クな食生活を提案している。コーヒーもベトナムコーヒーしか扱っていないというほど、メニューも徹底的に拘っている。このような個性的なコンセプトや商品構成のユニークさが、若い人の足を南船場や堀江に向かしているのである。このように、セレクトショップに代表されるショップは、新たな価値観やライフスタイルを提案し、個性的で話題性のあるマーチャンンダイジングで店舗戦略を展開している。

3_3店づくりの分析

若い店舗のオーナーやクリエイターの拘りや店舗コンセプトが個性的なために、当然店づくりにもそれが繁栄されている。各店が、ファサードからインテリアおよび細かいディテール・ディスプレイまで、拘りがあり、興味を引く店が多い。

例えば南船場の「チャオパニック」は、外装の2階部分まで鎧状の木とドブズケ(亜鉛めっき)の金物で囲み、長堀側には抽象現代アートのイラストを大きく掲げて、興味をそそっている。インテリアは、スケルトン天井に板張りスラブとし、壁にオブジェをディスプレイするなどして開放感の中に、緊張感を演出している。また「n゜44OSAKA」は、外装のガラスウインドにすべてベージュの布で覆い、ショーウインドには布の巻いたトルソ(人体)を2体並べているだけで、それ以上外から何も伺えない。何か面白い物が有りそうな雰囲気、中に入ると床は、古材のフローリングを赤のペンキで塗られている。大きなアンティーク大テーブルに、チェック柄の商品がここぞ狭しと並べられている。けっしてお金のかかったインテリアではないが、手作りの面白さが什器やディスプレイに施されていて、ユニークである。

飲食店では、南船場の「レストランカフェ・ガーブ」では、倉庫をそっくり自分たちの手で改装して、天窓を突けたり、一部に中2階を造って面白い空間に仕上ている。外部にはガーデンを持ち、それをわざと雑材の塀で囲み内部の様子が解らないようにしている。エントランスでは、大きなスプーンとナイフのオブジェがディスプレイされていてレストランであることを表現し、ガーデンのパラソル付きのお洒落なテーブルがちらっと見える。店内では、吹き抜けや階段、ヨーロッパのアンティーク小物が無造作に配置され、非日常性と気軽な雰囲気を同時に演出している。また南堀江の「ミュゼ・大阪」はロケーションがよく、堀江公園に面した角地に立地して、大阪では見かけないスノッブな雰囲気である。建物から若手のデザイナーが設計して、1・2階吹き抜けで天井を高く大きな窓をとっている。若者はニューヨークの公園横のカフェでお茶している雰囲気をダブラして感じているのかもしれない。このカフェは、堀江のランドマークとして、デートスポットとして、人気のショップである。北堀江の「カフェ・シャルボン」は、以前木造の倉庫だったのを改装して、カフェに変身させている。木造倉庫トラス組みの梁と現代的なペンタントがうまくマッチしており、スレンレスのサービスカウンターのモダンなデザインが都会的な雰囲気を演出している。このように、昔の建物やロケーションをうまく利用して、店づくりに生かしている。

4_1プロモーションの分析

南船場や堀江のショップは、ユニークな商品構成や店舗デザイン、またサービスにより若者の話題となりマスコミが取材にやってくる、いわゆるパブリシティーをうまく利用している。ミニコミ誌やファッション雑誌が特集を組んで、またFMラジオでは毎朝ディスクジョッキーが、南船場や堀江の新しいスポットを紹介している。修学旅行生や若いカップルがガイドマップを片手に、南船場や堀江の界隈を散策している姿は、今や日常茶飯事である。口コミやパブリシティーなど、費用のかからないプロモーションを利用するケースが多いのが特徴である。そしてもう一つが、フリーペーパーやフライヤーと呼ばれる印刷物である。レストランやカフェのキャッシャー付近に、お店の紹介カード(名刺大または絵葉書タイプのもの)や、イベント情報を紹介したカードやチラシを置いて、若者が「あっ、これかわいい!もらっていこ」と持っていく物である。これらは若者の情報源として、重要な役割を果たしている。ミニコミ誌ではそんなフライヤーをゲットするのに、要チェックの店まで紹介している。またレストランやショップの上階を利用してクリエーターの個展を開いたり、若いミュウジシャンのライブを催したりして、新たな顧客の集客も考えている。フライヤー

4_2集積型商業施設(ハコモノ)への飽き

日経流通「流通論壇」で近藤直久氏(サントリー不易流行研究所課長)は次のように述べられている。商業施設にも経験価値の創造が求められている。空間を通じて思い出に出来事を提供し、新たな付加価値を見出す方法である。テーマパークのようなハコモノで興奮と刺激を与える仕掛けが、経験価値の創造の決め手と考えられがちだが、

むしろ公園・広場・遊歩道といった無目的な空間が重要だ。集積型商業施設はテーマパーク的なハコモノが多いが、今後無目的な空間を活用し、異世代が一緒に集まる場を模索すべきだ。

2000年には、大規模店舗立地法の適用前の駆け込み出店が多く、全国で数多くの商業集積がオープンしました。どの商業集積にいっても、観覧車・シネコンを付属させたオープンモールで、同じテナント、ブランド(コムサイズム、ユニクロ、無印良品、フランフランなど)が同じ商品構成で出店を繰り返している。若者にとってもう既に、これらの施設は経験価値を生み出す物ではなくなっているのではないのか。それよりは、南船場の小さいビルの2・3階まで階段を登って小さなブティックでかわいい雑貨を見つけ出したり、堀江公園を眺めながらカフェで食事することのほうが自然発生的な喜びを新鮮に感じられるのかもしれない。テーマパーク的なハコモノで仕掛けられた興奮や刺激を経験するのではなくて、人はそこに安らぎや新しい発見・楽しみの要素があれば集う。南船場や堀江の界隈を散策しながら、以前何も無かった路地に新しいショップを見つけ出したり、公園の見えるカフェでお茶を飲みながら、アメリカ映画の主人公と自分をダブらせることにより、スノッブな雰囲気を経験する。若者は、このような喜びを求めて、南船場や堀江に集まって来る野ではないでしょうか。

4_3路面店のメリット

南船場や堀江にセレクトショップやレストランカフェが、新しく次々とオープンしているが、それは、アメリカ村や心斎橋に空きスペースが無いわけではない。むしろ最近の小売店の売り上げ不振や大型店の郊外化により、空きスペースは増加する傾向にある。確かにアメリカ村や心斎橋の立地のよい路面店には、空き物件は皆無である。空きスペースは、集積型商業施設の2・3階部分や間口の狭い奥の区画に集中している。そこで路面店のメリット・デメリットを、集積型商業施設のビルインショップに対比して考察してみたい。

まず、第一に家賃負担が軽く、変動しない点がメリットとしてあげられる。アメリカ村の集積型商業施設の家賃相場は、売り上げ歩合10%_15%(最低売り上げ坪当たり30万円)で、路面店では、坪当たり15~10万円である。しかし最近、話題のの場所と言うこともあって、値上がり傾向にある。集客性については、ビルインショップのほうが、立地の良さやディベロッパーの販促活動により、集客性はよい。堀江については、心斎橋の駅から歩いて10分ぐらいかかり、わざわざ行くという感は拭えない。堀江公園2

第二のメリットは、ロケーションすなわち、歴史・文化・自然・無目的空間(公園、広場)等の要素を取り入れることが可能である。特に堀江は、道幅も広く、緑や公園もあり、東京の原宿・代官山のロケーションと似たところがあることから、東京のセレクトショップの大阪進出の場所として注目されている。

第三に、路面店は店舗デザインにおいて、外装・内装とも自由な表現が可能で、天井高を変更したり吹き抜けを作ることも可能である。それに比べてビルインショップは。天井高が固定されインテリアの表現に限度があり、大型施設であるため、防災設備、避難設備等にコストがかかる。

路面店とビルインショップのメリット・デメリット

  路面店 ビルインショップ
家賃 家賃が固定で変動しない 売り上げ歩合制が多く、売り上げを上げれば家賃もアップする
集客性 個店レベルでは限度がある。商品や店づくりに話題性があれば、可能性は大 ディベロッパーの販促や企画により、集客性は大きい。しかしテナントにはその代償を要求される。
ロケーション 歴史・文化・自然・無目的空間(公園、広場)等の要素を取り入れることが可能 ハコモノとしての仕掛けられた装置
快適性 個店レベルでは限度がある ディベロッパー企画運営管理次第で、集客性は大きい。しかし最近コスト高になることから、必ずしも快適と言えな
店づくり 外装・内装とも自由に表現が可能で、天井高を変更したり吹き抜けを作ることも可能 天井だか固定のインテリアには、表現の自由に、限度がある。大型施設には、防災設備、避難設備にコストがかかる。
販促 個店で自由な販促活動が可能 固定費としてビル側に販促費を徴収される。個店の自由な販促活動はコスト高
管理 営業時間や設備において、自由度が大きい ディベロッパーの色々な規則により、縛られる恐れがある。

 

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