HOMEトップページSHOPPINGMALL商業集積大阪ミナミの商業集積の変化と中心市街地活性化>2.ミナミの商店街の歴史と変化

大阪ミナミの商業集積の変化と中心市街地活性化 2

1.はじめに

2.ミナミの商店街の歴史と変化

 2-1 心斎橋商店街

  2-2 鰻谷(ヨーロッパ村)

  2-3 アメリカ村

 2-4 御堂筋・長堀通り

 2-5 南船場

 2-6 堀江

3. 何故今、南船場・堀江なのか


大阪・神戸・京都の店舗開業、店舗内装工事、リフォームのご相談は、 一級建築士で中小企業診断士の吉川正勝が、無料にて親切に対応いたします。
大阪商工会議所・神戸市産業振興財団・公益法人京都産業21に登録、アドバイザーとして、中小企業小売店をサポートしております。安心してご相談ください。

案内バナー

2.ミナミの商店街の歴史と変化

 2-1心斎橋商店街

 大阪ミナミは、徳川期に本核的に街づくりに着手され、掘割が新たに進められた。1615年に、南堀川(道頓堀川)が、開削された。1657年頃には、船場、島之内、西船場の地が、すでに区画整理がされていた。1679年頃の資料によると、小間物屋・古書店・古道具屋などがすでに営業していた。元禄期に、高麗橋に越後屋(三越)呉服店が開店し、そこに多くの呉服店・両替商などが集まってきた。その後新町に廊ができ、順慶町通りが賑やかになり、特に夜店明治 心斎橋が賑わいを見せた。一方、道頓堀に芝居小屋が建ち並ぶようになると、廊と芝居小屋に繰り出す人々が心斎橋筋を通り出し、人の流れは南へと移り始めた。1726年には大丸ができ、1800年頃には心斎橋南詰まで小売店がつらなってきた。

 そして明治期には、業種も増えて、1900年頃の資料によると、心斎橋筋には、本屋20軒、舶来商15軒、時計商18軒、洋傘商11軒、洋反・洋服商5軒があり、文明開化が浸透していた。中でも舶来商、時計商は心斎橋を「遊歩する人々」の好奇のまなざしを集めた。というのは、時計店は競い合って塔屋に時計盤を掲げる西洋風店舗を建立したからである。大丸、小大丸、十合といった呉服店も、正札販売・陳列販売を開始し、ショーウインドや陳列ケースをそなえた新しい店構えへ改装して競い合った。

大正7年(1918年)には、大丸は、ヴォーリスの設計により四階建ての百貨店を開業するが、二年後火災により焼失した。大正13年に、丹平ハウスが開店する。この店は、アメリカのドラッグストアを模したデザインの店で、薬以外に、写真用品、化粧品、キャンディー等も扱い、また飲食の楽しめるソーダファンテン、美容室、写真スタジオ、洋画研究所まで入店していた。そして女性客や若者を意識したアメリカ風の店が続々と現われ、呉服店も消費の殿堂である百貨店に変貌した。アールヌーボーやアールデコの新しい建築様式でデザインされた百貨店や店舗も出現し、お洒落をしながらショッピングやウインドショッピングを楽しむ人々が増えてきた。モボやモガなどの洒落たファッションに身を包んだ若者の「心ブラ」がここに誕生した。現在 心斎橋

 昭和に入ると、1933年(昭和8年)に梅田から心斎橋までの地下鉄が開業、翌年には難波まで延び、1937年には御堂筋も完成して心斎橋も姿を変えていった。大丸百貨店は、1933年にヴォーリスの設計によりアールデコのデザインで7階建ての現在のビルに再建された。その二年後そごう百貨店も、村野藤吾の設計によりモダニズムのデザインで新しいビルを完成した。心斎橋筋は、オシャレなファショッションストリートとして、若者の人気のファッションブランドのショップが軒をならべるようになった。

 このように、心斎橋は文化・芸術・ファッションの発信地として、時代の最先端の中で変化しきた。江戸時代には、書物が大衆の物になるにしたがって書肆の街として発展し、明治に入ると文明開化の象徴として時計・舶来品の店が多く開店し、また大丸をはじめとする呉服店も繁栄した。大正昭和になると、デパートが開店し「心ブラ」を楽しむ人でにぎわった。バブル期にはジュリアナなどのディスコなども登場し、いろいろな業種の店舗がデザインを競い合っていた。最近も若者がゲームコーナーやカラオケスタジオで、エンジョイし、商店街を闊歩している。しかし、心斎橋筋の老舗が消え、ゲームコーナーやパチンコ店に姿を変えて派手なデザインの店が並んでいる。これも時代の流れと言えばそれまでだが、何か落ち着いて、「心ブラ」を本当に楽しめなくなっているのはさみしい話である。

電話バナー

心斎橋の年表

年代

内容

1615年

道頓堀川開削

1657年

船場、島之内、西船場区画整理

1672年頃

新町に廊、道頓堀に芝居小屋が集まる

1679年頃

小間物屋・古書店・古道具屋などがすでに営業していた

1726年

大丸開業

1800年頃

心斎橋南詰まで小売店がつらなってきた

1846年

石原時計店開業

1881年

駸々堂書店開業

1888年

三木楽器開業(オルガン販売)

1900年頃

本屋20軒、舶来商15軒、時計商18軒、洋傘商11軒、洋反・洋服商5軒となり、文明開化が浸透していた

1918年

大丸4階建てビル竣工

1923年

丹平ハウス開業

1933年

地下鉄御堂筋線開通、大丸7階建てビル竣工(ヴォーリスのデザイン)

1935年

そごうビル竣工(村野藤吾のデザイン)

2_2鰻谷(ヨーロッパ村)

 御堂筋から堺筋までの間で、長堀通り側の1・2本目を鰻谷と言われていたが、アメリカ村に対して、ヨーロッパ村とも呼ばれている。1970年代に心斎橋筋にソニータワー・心斎橋パルコが開店し、この地区にグルメやファッションの店舗デザイン デザイナーズブランド店達人が隠れ家的に使用する店舗やオシャレな店舗デザインのバーが点在するようになった。バブル期には、DC(デナイナーズキャラクター)ブランドが、オンリーショップを出店して話題となった。安藤忠雄氏のデザインのショップ(写真右)が開店するなどして話題を集めた。この街はアメリカ村に集まる若者よりは、一線を画した20代後半から30代前半の世代のお洒落な大人の街である。ヨーロッパ村は、昭和57年頃からそう呼ばれるようになったが、その頃からギャラリーがふえ、この街独自の文化の香りを醸し出している。またこの地区の店舗はそれぞれこだわったコンセプトを主張したデザインのショップも多く、自分のスタイルを持つ人が集まって来るし、この街を定点としている人も少なくない。

2_3アメリカ村

アメリカ村 アメリカ村は、1969年に「ループ」と言う喫茶店の開業が起点になったと言われている。この喫茶店に、ファッション関係の人々やカメラマンが出入りするようになり、多くのクリエイターたちが集まるようになった.そしてアメリカ、特に西海岸の文化に影響を受けた若者たちが、旅行社が企画したアメリカ西海岸ツアーに参加し、その旅行で持ち帰った古着・雑貨・中古レコードを商品にし、アメリカ村に出店したのが始まりである。そしてサーファーショップや古着ショップが次々とオープンした。当初は三角公園周辺だけであったが、その後、周防街通りに沿って御堂筋まで延び、黒田征太郎のウオールアートやトムズハウスや自由の女神像をビルの屋上につけたファッションビルなど、街のランドマークも登場した。1990年にはタワーレコードがオープン、1993年には旧大阪市立南中学校跡地にファッション店を多く集積し、店舗デザインにも力を入れたビッグステップが誕生した。そして全国から修学旅行生がこぞって訪れる場所となり、10代の若者でいつも活気のある街に変わった。

 アメリカ村がこのように発展した理由は、おもに三つ考えられる。一つは、三角公園の存在がある。若者が三角公園に集まり、ミュージックや個性的なアートを競い合い、若者の表現のステージとなり、その周辺にいつも若者が集まるようになったことである。また、最近では漫才・手品を披露する芸人の卵、ストリービッグステップトミュージシャン、ラップダンサーなどがアメリカ村のニューカルチャーを生みだそうとしている。二つ目は、若者が始めて商売を始めるケースが多いと言うことである.特にフリーマーケットが多数存在し、そのフリーマーケットで成功した人が店を持つと言う流れがあるようである。だから5坪から10坪の小さなショップが数多く、点在している。三つ目は、核施設ビッグステップの存在が上げられる。ビッグステップには、ディズニーショップをはじめとする店舗デザインもトレンドなナショナルブランドのショップが入店し、アメリカ村の商品構成に幅を持たすことができた。またビッグステップの建設当時は階段と吹き抜けに大事な部分を取られ、肝心の商売する場所が隅に追いやられショッピングビルとしては成り立たないと言う批判も聞かれた。しかし、今にしてみれば何もない階段・吹き抜けのユニークな空間があったから、第二の三角公園、アメリカ村のシンボルとなり得たのかもしれない。若者たちはこのビッグステップの大階段に座ってコミュニケーションを図り、ショッピングを楽しんでいる。

アメリカ村の年表

年代

内容

1969年

カフェ「ループ」オープン

1970年

アメリカ西海岸ツアー「アメリカ夏の陣」企画

1970年

サーファー・古着ショップオープン(約20店)

1982年

カフェ「パームス」出店 ホテル日航大阪オープン

1983年

無印良品オープン

1989年

三角公園横にブルータスビルオープン

1990年

タワーレコード出店

1993年

ビッグステップオープン

199/年

OPAオープン


電話バナー

2_4御堂筋・長堀通り

長堀通りは昔、長堀川と言う本当の河が流れていました。それが30年前に埋め立てられ地下駐車場となり、1997年(平成9年)にその地下が地下街「クリスタ長堀」としてオープンした。1990年には、国際花と緑の博覧会のために整理された地下鉄長堀鶴見緑地線が開通し、心斎橋に東西からの集客が可能となった。この地下街のオープンを契機として、1999年に、大阪の市内では始めて東急ハンズ心斎橋店が開店し、これに続いて御堂筋・長堀通りに面して、「シャネル」「マックスマーラ」「ヴェルサーチ」「ヴィトン」「カルティエ」「アルマーニ」などのヨーロッパ高級ブランドが次々とオープンした。これは、バブル崩壊により銀行・大企業のリストラのために、

メインストリートの店舗およびショールームを閉鎖したことにより、高立地の商業地に空きスペースが増加したことが大きな原因である。

御堂筋に面したビルも空きスペースが増加し、活性化が求められている。そこで最近、大阪市・大阪商工会議所・近畿建設局が一体となって大改造に乗り出そうとしている。パリのシャンゼリゼ通りに習って「御堂筋沿いのビルの一階部分を店舗で統一する」といった案が浮上している。具体的には、オフィースや銀行が入っている御堂筋沿いのビルの一階部分をブティックやカフェなどの店舗として使ってもらうようにする。また、ビルの外壁を煉瓦タイル貼りで統一するなどが考えられている。

2-5南船場

南船場 おしゃれなビル船場は、江戸時代に天下の台所として、近代には、経済商工都市大阪の中心として繁栄し、現在も日本有数の企業がオフィースを連ねている。昔、東西を東横堀川と西横堀川に、南北を長堀川と土佐堀川で囲まれた地域を船場と呼ばれていた。南船場一丁目_四丁目は以前、順慶町通り、安堂寺橋通り、塩町通り、末吉橋通りと呼ばれていた。順慶町通りの西は新町廊に通じ、昔から賑やかであり、特に夜店が賑やかであった。安堂寺橋通りは、金物屋が多く、関西初の蘭学熟もあった。

南船場は、もともとアパレルやデザイン関係の事務所多かったエリアで、以前からビルの一階には、ブティックやお洒落な喫茶店が見られた。バブル期には、イタリアのデザイナーを起用し、外壁に観葉植物を使用したユニークなデザインのオーガニックビルも誕生した。その後、南船場のビルの1階にはオープンエアーレストランやブティックがぽつりぽつりと増え、勤め帰りのOLや業界人が多く見られるようになった。クリスタ長堀が出来てから、ユニークな店舗デザインのセレクトショップやカフェレストランの数が急増している。

2_6堀江

今から300年前、堀江川(今で言う北堀江と南堀江の境目、周防町通り)が開削され、それに伴い廻船問屋などが生まれ、材木・銅吹・藍などの商工業が発達した。そして戦前には、花街として栄え新町の流れを受け、お茶やさんで華やかな時代も合った。しかし、大空襲で焼け野原になり、その後疎開していた人が帰り、現在の立花通りが作られた。立花通りは以前、家具の町としても有名であった。

 堀江には、依然からアパレル・デザイン関係の会社が多く、4・5年前からそのアパレルメーカーが堀江公園ショールーム兼用のショップを造りはじめた。筆者も堀江のビルの一室に事務所を構えて10年以上なるが、そのビルの一階のテナントは、5年前に古着ショップがオープンし、その後アフリカ雑貨、ボーダーショップと変化した。3年前に立花通りに、お洒落な若者の間で有名な原宿のショップ「APC」が出店したのを、契機として堀江付近を若者が、雑誌を片手に歩く姿をよく見かけるようになつた。その後も東京発のブランドショップの出店が続き、ヒステリックやジャーナルスタンダードなどが旬なデザインのショップが軒をならべてきた。







店舗デザインの基本
       店舗デザインの基礎(店舗レイアウトの基本店舗デザインの進め方・リフォームとリノベーション等)について説明します。
はじめての店づくりのために   初めての店作りで店舗内装工事の相談予算スケジュールについて説明します。
売り上げアップの原理      店舗レイアウト売り上げアップの関係を説明します。
店舗リフォームデザイン      店舗リフォームの注意点について説明します


店舗レイアウトの基本

当サイトでランキング1位のページです。是非ご覧ください。物販店、飲食店、百貨店等の店舗レイアウトについて説明します。店舗設計における平面計画の重要性(売り上げアップ)について説明します。

店舗づくりの進め方

店舗設計の流れをチャートを使って説明します。店舗設計には十分時間を!

リフォームとリノベーション

リフォームとリノベーションの違いとは?店舗内装の改装時期はいつがいいのか?

店づくりのスケジュール

店づくりの計画から完成までどのぐらい時間がかかるのでしょうか?店舗内装工事期間は・・・

照明計画

店舗設計において重要な、照明の基本について説明します。照明計画がデザインだけでなく地球環境問題などエコロジーをも、考えて計画することが重要です。

照明イメージ

CI計画

今店舗デザインで、特に気を使いたいのがグラフィックデザインです。

看板を考える

看板とは何か。写真で名称役割を説明します。店舗設計において、特に重要です。






■当社は、下記の公的機関において専門家登録をしております。安心してご相談ください。


公益法人 ひょうご産業活性化センター
公益法人 とくしま産業振興機構
公益法人 京都高度技術研究所
公益法人 神戸産業振興機構
公益法人 京都産業21
大阪商工会議所 エキスパートバンク
公益財団法人 わかやま産業振興財団
公益法人 三重産業支援センター
独立行政法人 中小企業基盤整備機構

連絡バナー

(有)一級建築士事務所 カジャグーグー

大阪府知事登録(へ)14346号
所在地 〒532-0004 大阪市淀川区西宮原3-2-1 第2ニッケンマンション402号
電話  06−6868−9836 
FAX  06−6868−9848




Q&A グーグーへの質問LINK リンクのページへトップページへ店舗コンサルタント.NETへ | 家づくりアトリエサイトへ | 店舗診断サイトへ
ポストメール 相談無料 相談無料バナー メール相談